翻訳発表

 この小説は、毎週土曜日午前の「小説を楽しもう!」クラス(2014年4月~6月)で講読し、授業で翻訳したものを講師が訳文を整えまとめたものです。この度、著者の龍一さんから特別に翻訳許諾を頂戴し、学院のホームページに発表できることになりました。一九二〇年代の天津租界から始まり、激動の時代を背景に愛を貫こうとした美しいモダンガールの生涯を活劇風に描いたこの小説を、たっぷりとお楽しみ下さい。
(原文は文芸誌《人民文学》2013年11期所収)

【作者紹介】
龍一:1961年、天津生まれの人気作家。中国作家協会会員。長年にわたり、中国古代生活史や近代都市史、中国革命史を研究し、その博識をベースに抗日戦争の時代を背景にしたスパイものなど、スリルと迫力のエンターテイメント小説を数多く発表し、映像化された作品も多い。ご本人によれば、日本の小説が好きで、多くの示唆を得たという。

*担当講師:樋口裕子 
*受 講 者:大谷恵吾、小林利江、紺野史子、三枝博、中村友彦、山下章の各同学

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モダンガール・エレジー(原題:新女性的挽歌)  作者:龍 一
【第7章】

 一九四一年十二月二十四日、早朝。鄭玉婕(ジョン・ユイジエ)は三十六歳になっていた。
 今夜は穏やかな夜だ。希望はかすかにしか見えないが、玉婕はそれでも庭師の老安(ラオアン)が鶏を二羽買って帰ることを待ち望んでいた。BBCの短波放送では、最新ニュースが二本伝えられていた。――イギリスの首相チャーチルが今日からアメリカ訪問に出発し、ルーズベルト大統領と会談する。また、ソ連のモスクワ防衛は著しい進展を見せ、ソビエト連邦最高会議は、包囲の前に移転していた党中央と政府の各主要部門、および各国の大使館にモスクワに戻るよう決定した。
 玉婕は最後に残った少しばかりの珈琲をポットに入れ、耳を澄ませて二階の物音を聞こうとした。程(チョン)夫人の不眠症は深刻で、朝は起きるのが遅い。ところが1階を間借りしている2家族はとうに起きていて、子供たちがあちこち駆け回り、ドンドンと音が鳴るほど床を踏み叩いている。両家の女性たちは先を争ってトイレを使い、叫び声、怒鳴り声がひっきりなしに聞こえる。こういう生活にも玉婕は慣れてしまった。蒋介石委員長も言っている。「抗日戦争の間は、物資が欠乏しても、国民は苦心して力を合わせ、志を失ってはならない」と。
 彼女が竈(かまど)にスコップ1杯の炭団をくべると、蒸し器から甘い香りがこぼれてきた。今夜、彼女は程君石(チョン・ジュンシー)と夫人を伴って天津を脱出し、大後方へ向かう予定であり、道中の食糧に携えようと、穴の大きなトウモロコシ饅頭を蒸しているのだ。
 君石が二階から下りてきた。まだ四十六歳なのに頭髪はすでに白髪のほうが目立つが、声は相変わらず歌うような調子だ。「玉婕、苦労をかけるね。痩せて色黒になってしまったな。」玉婕は笑って言った。「私もともと色白じゃないのよ。」そう言いながら、君石のために簡単な朝食を並べ、まるで宝物を献上するかのようにエプロンのポケットからゆで卵を一つ取りだした。天津病院の日本人医師が言うには、君石は監獄で肺結核に感染したが、病巣はもうほとんど石灰化しているとのことだ。だが、身体はすっかり弱っているので、玉婕はいつも手を変え品を変え、彼に滋養をつけさせているのだった。
 君石は殻をむいた卵をナイフで2つに切り分け、言った。「二人で半分ずつ食べよう。」玉婕は彼と譲り合いをしたくはなかった。そんなことをしたら、また恋人みたいだから。彼女は黄身を取りだして君石の粥椀に入れて「私は白身が好きなの。」と言った。実際、こういう仲睦まじい夫婦のような関係は玉婕をしばしば悩ませていたのだ。それでも、彼女は君石夫婦をどうしても捨てておけないのである。というのも、自分が君石を巻き添えにしたために、結果的に今日のような苦境に陥らせたと彼女はずっと思っていたからだ。もし、彼女が「華倫洋行汚職事件」に関わって君石をジタバタさせなければ、彼らの暮らしは今のようにはなるはずがなかったのだ。
 老安が買い物から帰ってきたが、鶏は手に入らず、痩せた小さなハトが一羽買えただけだった。
「鄭様、街に通達が張り出されてまして、日本の『極部隊』は今夜の通行禁止の時間を遅らせて夜の十一時からにするそうです。」と老安は言った。
「お天道様はお見通しね。ほんとに有り難いわ。」と玉婕。
「やっぱり、お送りしましょう。病人二人に荷物も山ほどあって、お一人では面倒みきれませんよ。」と老安は声を落として言った。玉婕はこの忠実な老僕を慰めた。「あなたが天津に残ってくれれば、私たちにも拠り所があるというものだわ。」
 日本興亜院の連絡員、島村賢治が程君石を迎えにきた。黒い背広に柄のネクタイはいずれも質のよいものではなく、革靴のつま先にも踵にも当て皮がしてある。玉婕は島村に食卓の傍で待ってもらうことにした。君石は十二年の獄中生活で、ビタミンの欠乏により歯がすっかり抜け落ち、こしらえたばかりの入れ歯もまだ慣れないため、物を食べるのにとても時間がかかった。島村は穏やかな人柄で、玉婕と封切りされたばかりの「満映」の映画の話などをそれとなく話し、君石とはアメリカの「超空の要塞」と呼ばれる爆撃機のことを話題にした。
 外で間借り人の家の女房が、何か下心でもありそうに高い声で紋切り型の挨拶をしている。「お婆さん、また娘さんのところにお金の無心に来たのかい。果報者だね。」
 玉婕は急いで出てきて母親を玄関のところで引き留めた。自分の部屋に母を入れるわけにいかないのだ。というのも、中には荷物をまとめて置いてあるのだが、天津を間もなく離れることを母には言わないでいたからだ。また台所に通すわけにもいかない。そこには日本人がいる。玉婕の弟は十月に鄭州でお国のために犠牲になっていたのだ。今月の九日に日本軍が英仏租界を占領した翌日、「中国が日本に宣戦布告」というニュースが載った新聞と一緒に配達されてきたのは、弟の戦死の通知だったのである。
 まだ六十歳になっていない母親は、痩せこけた纏足の姿で、寒い玄関の所にポツンと立っていたが、玉婕を見ると眼をきらりと輝かせ、続けて泪を流した。玉婕は母の身体を支えて上にあげ、二階の踊り場に座る場所を作り、自分の身体で入り口から吹いてくる冷たい風をさえぎった。そこなら欄干を通して階下の台所が視界に入り、耳をそばだてて二階の程夫人の部屋の様子を聞くこともできた。
「父さんたら、またいつもの発作でね」と母は言った。玉婕の父親は頭がはっきりしておらず、時折わけの分からないことを言い出す。「発作」というのは、つまりは突如何かを食べたくなったということだ。そして彼女は尋ねた。「父さん、何が食べたいって?」母親はため息をつくように言った。「シラウオと紫ガニの鍋なのよ。」
 玉婕は母親に日本軍の占領地区で使用している聯銀券を五元渡した。多くはやれないのだ。手元に残った所持金はわずかしかなく、一部は重慶で使われている「法幣」で、闇市で換金したものだった。残った聯銀券では汽車の切符しか買えない。彼女はまた母のためにトウモロコシ饅頭(マントウ)を2個ハンカチに包んだが、門のところで見送るとき、やはり忍びがたく、また別に5元の法幣を母の手に握らせ、「人に騙されちゃダメよ。」と言い聞かせた。この次に母が娘を訪ねてきても、庭師の老安と間借り人にしか会えない。娘と程君石夫婦はもういなくなっているのだ。このとき、トニーが「リア王」の中で責めたのは当たっていると彼女は思った。自分は親不孝な娘なのだ。
 君石と島村賢治が出てきた。「心配いらないよ。ただの会議だ。昼には戻ってくるから」と君石はやさしく玉婕に言った。島村はお辞儀をして辞去を示しつつ、両手で封筒を捧げ持ち言った。「ほんの気持ちばかりですが、どうぞご笑納ください。」玉婕が受け取ると、サラサラという音が聞こえ、開けてみれば、太古洋行の白砂糖が百グラムほど入っていた。
「もう何年もこんな良い品はお目にかかってなかったわね。」程夫人は珈琲にスプーン二杯の砂糖を入れてかき混ぜ、また一杯入れ、スプーンを回してから一口飲み、長々とため息をついて言った。「なんて幸せなこと。ありがとう。」
 玉婕は十二年間、程夫人の世話をしてきて、「ありがとう」という言葉は何万回も聞いたが、それでも礼儀正しく「どういたしまして。ゆっくりお召し上がりください」と返事をした。
 程君石がイギリス租界工部局によって監獄に入れられ一か月余り経った一九二九年十月二十四日、ニューヨークの証券取り引き市場で株の大暴落が起き、程夫人の両親の全資産と彼女が両親に運用を任せていた持参金も、一切合切が灰燼に帰してしまい、両親は帰国の船賃もなくなってしまった。そこで程夫人は病院を出て、不動産と宝飾類を売り払い借金を返済するしかなかった。そうして途方に暮れたとき、玉婕が彼女を自分の家に引き取って住まわせたのである。彼女は程夫人を慰めて言った。「この家は君石のものです。登記上は私の名義になっていますが、君石の財産にほかなりませんわ。」
 こんなふうに、正妻とかつての愛人がこの家で同居し、判決を下されて監獄に入れられたその男を待つことになったのであった。一九三〇年代の世界的な経済恐慌と、盧溝橋事件後の日本軍による天津占領を経て、玉婕は外で仕事を探し、程夫人は衣類を売って現金に換え、二人で庭師の老安を雇い続け、苦労してどうにか暮らしてきた。監獄に面会に行ったとき、程君石は玉婕に、家を売って夫人にアメリカ行きの船の切符を買ってやり、玉婕自身は残った金を持参金にして誰かに嫁げばいいと勧めたこともある。そうしようかと玉婕も考えないではなかったが、ただ漠然として先が見えないような思いにとらわれ、愛も結婚も彼女にとってはすでに味の変わってしまった残りご飯でしかなかった。今の生活も奇妙な味わいではあるが、結局はもう慣れてしまっていた。だから君石には「あなたが出獄して、暮らしが落ち着いたら、私はお別れするわ」と答えたのだ。
 逮捕されて十二年が過ぎ、太平洋戦争が勃発して五日目に、島村賢治は程君石を玉婕と程夫人のもとに送り届けてきた。「一九三一年からこのかた、私は10年の時間をかけて程さんを救い出そうとしてきました。もし我が軍がイギリス租界を占領していなければ、絶対にチャンスはなかったのです。」と彼は言った。程夫人は美しい大きな眼を見開いて聞いた。
「なぜですの?」
「程さんは欧州各国の航空機製造会社に最も信頼されているアジアの仲買人で、その業績はもう伝説になっているほどです」と島村は丁重に答えた。玉婕は夫人よりも世間の事が分かっているので、直接核心を突いて聞いた。
「あなたは程さんに何をさせたいのですか。」島村は満面に笑みをたたえ、やおら立ち上がって深々とお辞儀をして頭を下げ、あごを胸につけるようにして一字一句はっきりと述べた。「程さんに東亜の共栄のためにご尽力をお願いしたいのです。欧州に旅に出て、各国の航空機製造会社と再び業務提携の道筋をつけていただきたいと思います。」
 玉婕は困ったように言った。「あの人は身体を壊してしまいました。」
 島村は高らかに笑って言った。「奥様、ご心配なく。日本租界の天津病院と海光寺の日本陸軍医院では、程さんはいつでも無償で治療をお受けいただけるようにしております。」
 玉婕は程夫人を指さして言った。「こちらが程夫人ですわ。私は違います。」
 島村賢治は再び頭を下げて礼をして言った。「分かりました。マダム。」
 この男は中国の官界で通用する俗語まで心得ており、「お妾さん」を「マダム」と言い替えることもできるのだ。玉婕はどうにも困ってしまった。しかし、程君石はさすがに場を納めるのが上手で、歯のないしぼんだ口でムシャムシャ噛むマネをした。「とりあえず入れ歯を作ってもらいたいね。豚肉の三種炒め、肉と豆腐と筍のスープ煮、マッシュルームと筍の炒め物、それに肉巻き、とにかく、ご馳走が食べたいんだ。」
 程夫人は蒸し上がったトウモロコシ饅頭に砂糖をつけて朝食にしたが、胡麻ダレがないのを嘆いた。玉婕は程夫人に、いつ旅立つかもしれないので、昼までに荷物を準備するよう念を押した。それから彼女はまた土鍋に葱や生姜などの香料を入れ、ハトの毛をむしって余計な部分を切り外し、ざっと湯引きして土鍋で煮込むよう命じた。「水は多めにして、こまめに見てね。空だきしないように。」出がけにそう言いながら、心のうちで思い返していたのは、あの朝のこと。程君石が家に帰ってきたあの瞬間の自分の感覚だった。玉婕はもはや「モダンガール」ではなくなった。今の彼女の意識は、たまに臨時の仕事がみつけられる程度の家庭婦人のものでしかなかった。
 先農不動産会社には小丁(シャオディン)が紹介してくれた不動産仲介人がいたが、見たところ、まるで芝居の娘役のような杭州の男だった。仲介人は玉婕に向かって気の毒そうにため息をついた。「そんなにお急ぎじゃ、きっと無理ですね。租界は破滅したんです。もう孤島ではありません。不動産価格は急落して、誰も買う人などいませんよ。」
 玉婕はめげずに言った。「家を担保に借り入れできないかしら。」仲介人はまるで『玉の腕輪を拾う』という京劇の歌を唱うかのように軽やかに笑った。「朝鮮人がやっている小さな質屋に入れるしかないでしょう。」
 家を売るという選択を、玉婕はもうあきらめることにした。
 若いラビノビッチは大恐慌の中で投資に失敗し、店舗を香港上海銀行からロシア大院に移転して、日がな一日酒浸りの白系ロシア人と隣同士になった。玉婕が彼を訪ねてきたのは小丁のスコットランド人の恋人に封書を渡してもらうためだった。封筒には20ドルと法幣100元が入っている。現在、その男は全てのイギリス籍、アメリカ籍の住民と一緒に日本軍によってパレスホテルに軟禁されているのだが、食事と寝泊まりの費用は自己負担だったので、彼らを本国に送還する汽船はいつになったら出るのか先が見えない今、金がないと飢え死にするしかないのだった。その金は玉婕が估衣街で最後に残っていた毛皮のコートを売って工面したものであり、友人として、彼女は小丁に出来る限りのことはしたのである。ところが、ラビノビッチは、「封筒はすぐにお届けしますが、丁さんからお言付けがあります。パレスホテルの前であなた様をお待ちしているので、必ずおいで願いたいと。」
 人情を解さない小丁に対して、玉婕は少し腹立たしく思ったものの、落ち合った二人は通りを渡り人気(ひとけ)のないビクトリアガーデンに入っていった。そこで小丁は声をひそめて言った。
「今夜はクリスマスイブだから、外出禁止時間の始まりが遅れるのよ。パレスホテルの見張りをしている日本人はたぶんイギリス人の点呼をしないはず。」玉婕は黙っていたが、ひどく心配になってきた。小丁は続けた。「上海行きの汽車の切符が二枚あるの。出発は明日の朝よ。それから、ベルギー人の古いパスポートを手に入れて、私の彼の写真を貼ったわ。」
 もはや断れない事を頼まれるのだと玉婕は気づき、尋ねた。「どうするつもりなの?」
「今夜、彼を連れてお宅に行くから一晩泊めてほしいの。明日、汽車で南に向かい、上海から船でイギリスに向かうわ。」と小丁は言った。
「津浦線の切符は買えないんじゃないの?」と玉婕が聞くと、「郝大為(ハオ・ダーウェイ)は漢奸になっちゃったけど、それでも友人は助けてくれるのよ。」と小丁は答えた。
 玉婕は恨みがましく言った。「でも、彼は私を助けてはくれないわ。」
 郝大為は現在、北寧鉄道警察局副総監督の任にあり、日本人の手先となっている。玉婕は天津北駅で彼と会ったが、そのことは数日前に約束してあったのだ。玉婕は開口一番、「あなたは小丁には津浦線の切符をやったのに、私には切符はないと言ったのね」と言った。
 郝大為は昔よりかなり太っていたが、快活な性格はそのままだった。彼は笑って言った。
「イギリス人が国外に逃げるなら先ずは津浦線に乗るが、その沿線には日本人の検問所がある。切符には印を付けておいたから、あの『渤海の漁師』一人だけ捕まるわけさ。捕まれば僕の手柄ということになるんだ。」
「なぜ、そんなことをするの?」と玉婕は聞いた。郝大為は大笑いして言った。
「日本人は奴を捕まえて見せしめにしようって腹さ。ロイヤルホテルにいる英米の客たちに警告するわけだよ。」
 玉婕は焼けるような焦りを覚えたが、どうしよもなく、ただいたずらに小丁が家に来るのを待つしかなかった。
 郝大為が玉婕に準備したのは、北平を経由して京漢線に乗り換え鄭州に向かう連絡切符で、二等車の切符が二枚と三等車のが一枚だった。代金は受け取らなかった。青春の記念のためにと彼は言ってくれたのである。
 一九四五年八月、天津が解放されたとき、郝大為は国民政府の地下工作者として、北寧鉄道警察局総監督に昇進し大いに財をなしたが、その年の年末、川魯飯店の前で狙撃され命を落とした。