夏期集中「京劇の奥深さに触れてみよう」

夏期集中

別科「ディスカッション中国語」在籍同学のエッセイを2篇紹介します

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尼泊尔的难忘回忆

永井 幸子

  很久以前,二十多岁的时候,我只身一人去过尼泊尔。在位于尼泊尔与西藏边境附近的一个村庄,我遇到了一些来自世界各地的游客,他们和我年龄相仿,都是充满朝气的年轻人。
  那时,他们在等待长途卡车的到来,因为他们打算搭乘卡车越过边境到达拉萨。可是谁都不知道长途卡车什么时候来,有的等了半个月,有的甚至等了一个月,他们就这样在等待中度过每一天。
  这种生活方式出乎我的意料,我想这并不是因为自己的思维方式不灵活,而是因为当时整个社会比较单一、封闭,并不像现在这样多样化。
  那时候我是个上班族,在日本,我非常忙,即使来到尼泊尔也有时间限制,因为是暑假旅游。我不认为我的生活方式有什么不妥的地方,但也不认为是十全十美的。
  至今我仍能清楚地记得当时无法用语言表达的复杂情绪,尼泊尔湛蓝的天空、洁白的喜马拉雅山、喇嘛寺庙上随风飘扬的五颜六色旗帜等等,连同这些景色将永远铭刻在我的记忆中。


ネパールの忘れられない思い出

永井 幸子

                                   
 随分前になるが、二十代の頃ネパールに一人旅をしたことがある。その際チベットとの国境付近の村で世界各国から此処を訪れていた旅行者に出会った。皆、私と同年代の溌剌とした若者たちだった。彼らは長距離トラックを待っていた。便乗して陸路で国境を越え、チベットのラサまで行くのが目的だ。トラックがいつ通るのか誰にもわからない。待ち続けて半月という者もいれば、ひと月になるという者もいた。そうやって彼らは旅の日々を過ごしていた。
 彼らの生き方はそれまでの私には考えもつかないものだった。私の頭が固いせいではなく、社会全体がまだ画一的、閉鎖的で、今ほどの多様性を持っていなかったのだと思う。当時私は会社勤めをしていた。日本での生活は日々忙しく、ネパールに来てさえも夏休みを利用した旅行には時間に限りがあった。私はその時、自分のそうした生き方が間違っているとは全く思わなかったが、かといって非の打ち処なく上等だとも言えないような気がしてしまった。
 その言葉にならない複雑な感情は今なお鮮明に思い出せる。紺碧の空と真っ白なヒマラヤ山脈、ラマ教寺院を吹き抜ける風に揺れる極彩色の旗というネパールの風景と共に、私にとって忘れ難い記憶である。


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听写的好处

小谷 清

  这几年,我坚持集中精力听写的主要目的是为了参加中检考试。听写占中检听力分数的一半儿,特别是一级,正确率达到85%才算合格,
显而易见,听写是至关重要的一个环节。
  全神贯注听写让我发现几个预料之外的好处。
  一个好处是能更好地把握汉字声调。如果对每个字的声调不确定的话,就难以判断,哪个汉字对应所听到的拼音,这不仅仅导致一个字的错误,甚至会影响整篇文章的理解。养成听写习惯后,我发现不能理解或误解的词语中,相当一部分是由于我对声调的忽略。通过反复听写,我对声调的把握慢慢地准确了,同时,说话时的声调也明显改善了。
  另一个好处是听写帮我更深刻地理解课文。我们一般从阅读课文开始学习,然而,如果首先看文字的话,很容易把生词误以为认识的,因为看了汉字,生词的意思也往往可以推测。但是只靠听写,难以写出没学过的词。据我的经验,这样学习的课文和生词会更深刻地牢记在心。
  还有一个好处是跟学习汉语没有直接关系的。如今,我们亲自提笔写字的机会少之又少,因为不管工作上还是私下里,写文章时基本上用电脑或者手机等电子设备。只要输入了拼音,电子设备就给我们提示适当的选项。与之不同的是,听写时,我们完全要靠自己的智能,这无疑是对我们脑筋的刺激。我相信这有利于防止痴呆症,要是你可以亲自提笔写出所听到的字,这足以证明你的脑筋还健康。
  现在,尽管我专心致志听写的第一个目标还遥遥无期,但我充分享受着听写带来的其他更有益的好处。不管你们学习汉语的目的是什么,听写一定会带来同样的好处。我毫不犹豫地推荐日中学院的同学们也跟我一起走上听写之路!


聴写の効用

小谷 清

 何年か前から中検対策として没頭している聴写が思わぬ効用をもたらした。一つ目は声調の把握の向上だ。声調の把握が曖昧だと、聴き取ったピンインがどの漢字に該当するかが判断できず、文章全体の理解に影響することもある。聴写の習慣化により、耳で語彙を理解するには声調の把握が重要であることがわかり、話す時の声調も改善している。
 もう一つの効用はテキストの理解が深まったことだ。最初に目を通してしまうと、知らない語彙でも知っているつもりになることが多いが、耳で聴いただけの知らない語彙を文字にすることは困難であり、聴写によりテキストや新出語への理解が深まることがわかった。
 さらに、中国語とは直接関係ない効用もある。今どき文章を手書きする機会はほとんどない。パソコンやスマホはピンインを入力すると最適な候補を教えてくれるが、聴写は自分の知能に頼るしかなく、間違いなく頭の体操になっており、認知症予防として有益だ。
 本来の目的達成の目途は立っていないが、聴写の思わぬ効用を楽しむため、みなさんもぜひ僕と一緒に聴写の道を歩みましょう!

日中学院校友会主催日中国交正常化50周年記念講演会
『撫順の奇蹟―親子二代にわたる元戦犯との交流を通して—』③

講師:金勝光氏

【日本留学と中帰連会員との交流】
講演会
 私は1987年5月に留学して35年経ちました。この間、中帰連の会の方や息子さん、娘さんと交流してきました。私が成田に到着したときに中帰連の金子安次さん、綿貫好男さん、新井宗太郎さんが出迎えてくれました。金子さんは身元保証人で1年間の生活費や日中学院の授業料などを負担していただきました。その日は空港から日中学院に行き入学しました。来日するまで私は日本語を勉強してきましたが、挨拶の言葉「初めまして」「どうぞよろしくお願いします」などが流暢に口から出てきたためか、金子さんや綿貫さんは私が日本語がよくできると思っていたようですが、実は日本語がほとんど話せない状態でした。でも、日中学院はとても楽しいところで、先生方は本当に親切でとても丁寧に日本語を教えてくれました。入学して2か月くらい経った時に富士登山などの活動に参加しましたが、その時は富士山の5合目近くの民宿に宿泊しました。また、卒業の修学旅行で熱海に行きました。江尻先生、加納先生、残間先生、南雲先生とその当時参加した日本語科2期生たちと楽しく修学旅行ができました。1年間日本語を勉強して少しできるようになり、日中学院にとても感謝しています。
 私は来日して1か月間は金子さんの自宅にホームステイをしました。金子安次さんは右端、左端は奥様で、いつも「お母さん、お母さん」と呼んでいました。この1か月は私にとってとても大事な1か月間でした。毎日、食事後奥さんとお話ししますので、その時いろいろ教えてもらいました。日本語のしゃべり方でどう言ったらいいか教えてもらいました。
講演会
 それから綿貫さんのご自宅の狭山に3か月間ホームステイをしました。私(右)の隣が綿貫好男さん、その隣が春美さん、一番左は忠さんです。忠さんは私が来日する半年前に中国に留学していました。4か月間のホームステイのあとは、自立して生活するようになりました。綿貫さんの自宅から出た後、金子さんの浦安にある誰も住んでいない自宅に住むことになりました。3階建ての建物でしたが、私一人で生活しました。とてもいい家を提供してくれて、ほかの同級生と比べると贅沢な留学生活でした。
 また、中帰連の方々と一緒に札幌に行き、そこに住んでいる大河原孝一さんのご招待でしたが、雪祭りを見に行くことができました。大河原さんは中帰連の3代目の会長を担当されたことがあります。そのあと、中帰連会員の旭川の相川松司さんの自宅に招待され、そこで2、3日過ごし、近くの山の旅館などに行きました。中帰連の方たちにお世話になりましたが、この人たちは本当に戦争で人を殺した人たちと思えませんでした。中帰連の人たちは1956年に釈放されましたが、私は1957年生まれで、昔のことは正直わかりません。先ほどの話は父の本や資料、インターネットなどをもとにお話ししましたが、実際自分自身が感じることは、やはり、来日後、中帰連の会員の方と接して、皆やさしいおじいさんです。本当に信じられないくらいで、もしかしたらこの人たちは、戦犯管理所に恩返ししたかったのに、なかなかその機会がなく関係者である私に何かをしたいという気持ちだったのでないかと思います。
中帰連は当時銀座に事務所があって、日中学院に留学しているときに、ときどき銀座に呼ばれて、普段私がご飯を食べていないと思ったのか、昼間でしたが高級なお弁当を出してくれました。このような形でも中帰連の方々と交流しました。

【大学院に進学し人工知能(AI)を研究】
 日中学院を卒業後、私は千葉大学の研究生を1年やり大学院に入りました。1988年8月に大学院の入学試験を受けることになり、工学部機械工作講座を希望していましたが、試験科目を見たら数学、物理、英語、流体力学、熱力学、材料力学、機械力学の7科目ありました。日本語がそれほどできていないのに、このような科目を勉強しなければならず、受験をやめて帰国しようかと思いました。そのときに金子さんの奥さん、私が「お母さん」と呼んでいる人ですが、受験をやめたいという相談をしたら、奥さんは大変怒られ、「あなたがこのまま帰国したら、私はあなたのお父さん、お母さんに何とお伝えしたらいいですか」と言って、受験するように強く勧められました。初めて日本のお母さんに厳しく怒られましたが、後で考えてみると、お母さんの言っていることが正しいと思います。自分ははるばる日本に来て日本語を勉強しただけで中国に帰るのは大変残念なことです。しかも、千葉大の教授も受験に合格したら、教授の研究室に入ってほしいと言われたこともあり、それから、アルバイトもやめ、ひたすら勉強し8月に試験を受けました。幸い合格し、翌年4月大学院の機械工作講座に入りました。私はコンピュータグラフィックの研究をやりたかったのですが、教授から勧められたテーマは、AIつまり人工知能ですが、機械製図や建築製図をAIによって開発するものです。2年間毎日プログラムを作ってソフトを作りました。それで、AIの修士号をもらいました。

【就職、起業、日中の経済発展の橋渡しとして…】
 1991年4月に川崎にあるニトックスという会社に就職できました。そこのCADセンターでCAD開発の仕事を担当するようになりました。ちょうどバブルの時代で、社員寮はワンルームでしたが、社長が私のために2DKの新築の部屋を作ってくれました。その時は私と女房二人入居できました。その後、日本の経済はバブル崩壊で会社の景気が悪化して、社長の方針でCADのパッケージの開発は中断するということになり、1996年10月に友人と二人で「ケイアイエヌ株式会社」を設立し、2000年には代表取締役社長を務めるようになりました。それから今に至り22年間やってきました。
 この間、綿貫さんの自宅には何度も行ったり、金子さんが私の家に遊びに来たり、家族ぐるみで親しくおつき合いしました。35年経った今でも家族同様におつき合いをしています。(金子)矢須子さんは非常に流暢な中国語で話し、(綿貫)忠さんも中国語がよくできます。
 私は中帰連の会員や次世代の人たちとの交流を進めてきましたが、私自身の事業も発展することができ80名ぐらいの会社になっています。取引先のお客さんからの要望で2002年に北京にソフトウエア開発センターを設立しました。一時300人ぐらいの規模の会社になり、日本向けのソフトウエアを開発し、うちの会社が受け入れる形が続いています。父の世代は戦争の時代でしたが、これからは戦争を二度としない、日本と中国の友好が続き、私は自分の今までの経験から、やはり日本と中国の経済がさらに発展できるように橋渡しの役割をさせていただきたいと思います。本日は皆さん、お忙しいところありがとうございました。私の話を聞いていただき感謝いたします。(完 文責:加納陸人)

A先生の新語コーナー

中国式现代化 Zhōngguóshì xiàndàihuà

A先生の新語

中国式近代化。欧米とは異なる中国独自の発展モデルを指す。「近代化イコール西洋化」の概念を否定したこの発展モデルは習近平氏が昨年10月の第20回党大会で正式に打ち出したもの。中国式近代化の特長として①人口の規模が大きい②全人民が共に豊かになる③人と自然が調和・共生する④平和的発展の道を歩む、などを挙げた。大会で採択された改正党規約にも盛り込まれ、「中国式近代化によって中華民族の偉大な復興を全面的に推進する」と明記されている。(A)

別科基礎課程の講座名称が変わります

基礎課程
別科2023年10月期(291期)から基礎課程の名称が以下の通り変わります。ご自身のクラス名をご確認下さい。

応用課程以上の新規開講講座

〇中国語で表現してみよう! 10月14日(土)13:30~15:30開講 講師:鄭剣華
〇会話Ⅱ(火) 10月17日(火)18:45~20:45開講 講師:淳于永南
〇特別講座 オンライン翻訳基礎 10月18日(水)19:00~21:00(隔週) 講師:椙田雅美

新規開講文化講座

〇京劇役者が語る京劇 10月21日(土)13:30~15:30(毎月第3土曜) 講師:魯大鳴

図書館だより

ちょっとしたトリビアから歴史に興味がわくドラマをご紹介します。

ドラマ『独孤伽羅~皇后の願い~』

(原題『独孤天下』全55 話 2018年/日本語字幕)
「三国時代」の後、中国は300年近く群雄割拠の時代が続き、隋の時代まで統一しなかった。このドラマは北周から隋の統一・唐に至るまでを描き、北周の宰相『独孤信』の3人の娘の1人が北周の宇文毓(明帝)の妃に、1人は隋の楊堅(文帝)の妃になり、更にもう1人は唐の李淵(高祖帝)の母として死後皇后に追尊され、3人の娘が三つの王朝の皇后になったという史実をもとに作られている。話は隋の楊堅の后となる『独孤伽羅』を中心に展開するが、キーポイントは「独孤を得た者が天下を得る」にある。
図書室(北周・隋・唐室関係系図より。ドラマの登場人物を□に)

★今号から所蔵している雑誌を紹介していきますので、興味のある方はお申し出ください。

1.「人民文学」1951~現在(66~76停刊)
  中国作家協会の機関誌。中国の文学的動向を知りえる月刊誌。
2.「小説月報」1980~現在。中国国内外各層読者に最も愛されている月刊文学雑誌。
3.「读者」2011~現在。国内外の作家たちによる文学、芸術等、ビジュアルにも楽しめるバラエティー豊富な国民的総合雑誌。月2回刊。