next

back next
back next
back next
back next
back next
back next
back next
back next
back
 
『機械が僕に』 東西著/日中学院別科翻訳班訳
 
アーチンが ▼岡安ゆかり訳

 十年後の夏、僕はクレーンの腕に立っている女の子を見ていた。クレーンは十階建てビル程の高さで、その腕の長さはクレーンの高さと同じくらいだった。腕の一方には大きなプレハブボードが何枚かはさまれ、もう一方にはフックが下がっていた。フックには何も下がっておらず、ただフック自体の重さでワイヤーロープが真っ直ぐに張っていた。ワイヤーロープは細く、フックはいやに頑丈そうで、下にいるとその重くて丈夫なフックが今にも落ちて来そうに見えた。女の子はフックのある側、正確に言うと、フックが下がっている側の腕の真ん中に立っていた。彼女は両手を広げバランスをとりながらフックのある方、つまり腕の先端に向かってゆっくりと歩いていた。 
 そのとき強い風が吹き、女の子の白いスカートをふわりと巻き上げた。もし距離の問題がなければ、彼女の赤いパンティーと顔の表情まではっきり見えただろう。だが、肉眼では何も見えない。彼女は晴れ渡った空の下、まるで蜃気楼のようにゆらゆら揺れる白い点でしかなかった。クレーンのそばには建築中の乱雑なビルがあり、周りは足場で囲まれていた。一階、二階、三階、四階、五階、六階、七階、八階、九階、十階、十一階、十二階、ビルは十二階まで建てられていて、クレーンはそれより一階分高い。ということは、僕がここに着いた時に目測した高さより、もう三階分高いことになる。たとえボディビルダーでも十三階の高さから落ちたらぺちゃんこだろう。女の子だったらなおさらだ。
 僕は手にしていた機械のお陰で、彼女の赤いパンティーと眉毛まではっきり見ることができた。そして、彼女が肩にスピーカーを提げているのを見つけた。と、そこへ誰かが走ってきて僕の足を蹴飛ばして行った。その蹴りで僕の耳の穴が空き、周りの音が潮のように流れ込んで来た。脇にいた太っちょが手をラッパにして口に当てると、天を仰いで叫んだ。バカヤロウ。彼の声は耳障りで、ロック歌手の声のようにしわがれていた。彼がバカ、バカと叫び続けていると、首にみるみるミミズが数匹はい出てきた。それは叫びすぎで浮き出てきた青筋だ。彼が息をついて休むとミミズは首から消えた。だが再びバカヤロウと叫び出すと、また皮膚の下から浮き出て来る。彼は叫び続けた。バカヤロウ、パンティーもはかないで。母さんのメンツは丸つぶれだ。我が家の恥さらし。バカヤロウ。そこで僕は彼に言った。君の話を聞いて、世界中にどうしてこんなにも冤罪事件が多いのかが分かったよ。彼女はたしかにパンティーをはいているのに、君ははいていないと言う。保証する。彼女は赤いパンティーをはいてるよ。すると太っちょは首を引っ込めて僕を見た。本当にはいているのか。本当だ。彼は僕の機械をのぞき込むと言った。ホントだ、はいてる。
 太っちょが黙ると、パトカーのサイレンが聞こえてきた。数台のパトカーがクレーンの下に停まり、屋根の上のパトライトをピカピカ光らせていた。その灯りに照らされながら、警官たちはマットを敷きだした。クレーン上の女の子を受け止めるつもりなのだろう。のっぽの警官が首を伸ばしてクレーンの腕を見て言った。おい、飛びこむならさっさとやれ。手間を取らせるんじゃない! 彼は視線を上から下へと移していき、地面のマットに落とすと、言った。陳寧、マットがずれてるぞ。あと十メートル奥に動かさないと、落下地点にならないじゃないか。すると、陳寧というらしい警官が、のっぽの警官に駆け寄ってこう言った。隊長に報告します。彼女は何度も飛びおりようとしていますが、一度として本当に飛んだことはないのです。今回も飛ぶはずありません。我々がマットを敷いたのは、ただのシンボルなのです。我々のヒューマニズムのシンボルなんです。

 
  ▼吉村誠訳

 この時、僕のそばの太った男がまた叫びだした。バカヤロー、不良娘、恥知らず。飛べるモンなら飛んでみろ。そうなりゃ俺も仕事にいけるってもんだ。おまえに付き合うほど暇じゃないんだぞ。俺が仕事に行くかないと数十万の損失だ。バイバイ。太った男がそう言い終わるや、大空に怒鳴り声が響きわたった。バカヤロー。僕はクレーン車の上にいる女の子が拡声器を口に当てているのに気がついた。彼女は下にいる大群衆にむかって大演説をぶつつもりのようだ。
 太った男は僕の肩をたたきながら言った。気にすんな。あれは俺の妹で、もう何度も高い所によじ登っては飛び降りようとしているんだ。だが、一度だって本当に飛んだことはないのさ。太った男はそう言い終わると、BMWに乗ってその場から去ってしまった。彼の妹であるというクレーン車の上の娘は、彼のBMが人の群れから走り去って行くのを目で追っていた。彼女はBMの後ろ姿と、それが巻きあげる粉塵にむかって、恨めしそうに叫んだ。あんたこそバカよ。あんたこそ恥知らずじゃない。同士同朋、紳士淑女のみなさぁん。もう何分かしたら、私、ここから飛び降りたいと思います。みんなぁ、どうして私がここから飛び降りたいか、そのワケを知りたくなぁい?
 知りたーい。地上の群集は興奮していっせいに叫び声をあげた。まるで女の子にバンザイを唱えているようだ。女の子は泣き出した。彼女の泣き声は拡声器で増幅され、十デシベルが二十に、二十デシベルが四十デシベルに、四十デシベルが八十デシベルに……。泣き声は何倍にもなって僕たちの頭上に響いてくる。それはまるで天からの声のように、とても切なく、愛らしく、感動的で、清らかだった。そして、彼女の涙が雨のように僕たちに降り注いできた。泣き声は雷、涙は雨。彼女の一挙手一投足が僕たちの天気となった。髪を金色に染めて瞳をブルーにした十数人の若い男女が、雷の抑揚にあわせて腰をふり、手を高くあげてワーワーと叫んでいる。高くあげられた彼らの手には横断幕が掲げられ、そこにはこう書いてあった。アーチンがんばって! 僕はようやく自殺志願の女の子がアーチンという名前で、下の群集が彼女の追っかけだということが分かった。高層ビルの上だろうが、クレーン車の上だろうが、橋脚の上だろうが、彼女の現れるところ追っかけたちは立ちどころに駆けつけてエールを送るのだ。
 泣き声がしだいに小さくなった。アーチンは追っかけたちに手をふって言った。愛がないから、生きているのが苦しいの。追っかけたちは叫んだ。愛がないなら、僕たちがあげるよぉー。背の高い警官も叫んだ。アー、キミが飛び降りさえしなければ、キミの欲しいものは我々がすぐにでも提供しよう。エー、もちろんそこには本官の愛も含まれておーる。アーチンは言った。あんたたちのは愛じゃなくってセックスでしょう。私が欲しいのは愛なの。セックスじゃないの。誰か教えて、愛がどこにあるのか。そしたら、私、自殺するのやめるわ。この問いかけに誰も答えられないでいると、背の高い警官が自分の胸をたたいて言った。ここにあーる。真実の愛は本官の胸のうちにあーる。アーチンは警官の呼びかけが聞こえず、しゃくりあげて泣き出した。こんどは雷と雨がいっしょだ。彼女は言った。みんな、私ってキレイ? 誰かが答えた。キレイだよぉ。彼女は言った。私みたいにキレイな女の子でも愛を見つけられないのよ。ほかの子ならもっと難しいわ。この世界に愛がないから私は死ぬの。アーチンはまた一歩フックの方へと踏み出した。一瞬体がグラリと揺れた。拡声器が彼女の口元からすべり落ちて腕にひっかかった。
 アーチンは姿勢を立てなおすと、あらためて拡声器をとった。人間は必ず死ぬけど、泰山より重い死もあれば、鴻毛よりも軽い死もある。ある人が言ったわ。たかが愛のために死ぬなんてコーモーよりも軽いって。だから死をタイザンより重くするために、私はもっといろんな問題のために死にたいの。誰かが叫んだ。じゃあ、何のために死ぬのぉ? アーチンは言った。汚染された地球のために死ぬわ。ヒマラヤの雪には水銀やマンガンがあるし、大西洋の海底には鉛やクロムが沈んでるし、南極のペンギンの体には環境ホルモンがあるし、北極の大気は酸化が進んでるし、空には二つの大きな穴があいてるし……。こんなにひどい地球に暮らしてたら、明日死んでもおかしくないわ。アーチンは話し疲れたのか、そこで息をついた。その息づかいが、僕の耳まではっきりと聞こえてくる。
 すべての音が消え、ただアーチンの吐息だけが天空を覆っていた。静寂に耐えきれず誰かが叫んだ。それからぁ? アーチンは言った。腐敗分子は多すぎるし、闇取引は横行してるし、学校に行けない子供はいるし、森林の濫伐はひどいし、ママは私のこと怒るし、青い空は見えないし、東南アジア経済危機だし、クリントンは不倫疑惑だし、お兄ちゃんは私が飛び降りるのを見てくれないし。これだけたくさんの理由で死ぬのよ。まだ足りないっていうの? アーチンは死ぬ理由を一気に並べたててから反問すると、また一歩前へと踏み出した。彼女は拡声器を肩からおろすと、最後にひとこと叫んだ。飛びます。彼女は手を開いた。拡声器が彼女の手からゆっくりと落ちてゆき、まるで石塊のように地上に叩きつけられて、鋭い音を放った。僕たちはいっせいに手で耳をふさいだ。その手を緩めたとき、アーチンはすでにクレーン車のアームにまたがって、ずるずると後ずさりを始めていた。彼女は後ずさりしながら泣いている。高いよー、怖いよー、やっぱり死ぬのやめるー。
 彼女は泣きながらアームを這いもどると、クレーン車の柱を滑り降りていった。柱の半分も滑り降りた時、下から登ってきた警察官が彼女を受けとめた。警官は彼女の大きなお尻を両手でささえ、二人してずるずると下へ移動していった。一時間近くかかって、二人はようやく無事に地上まで降りてきた。群集はわっと歓声をあげてハエのように群がり、僕は外に押し出されてしまった。二人の警官が左右からアーチンの両腕をかかえ、群集をかき分けて出てくると、彼女をパトカーに押し込んだ。パトカーはサイレンを鳴らしてその場を去っていった。

 
アーチンに ▼本多恵美子訳

 十年後のその夏、僕は大学のジャーナリズム学系を卒業した。そのころアーチンは僕から一〇万八千キロの彼方いた。宇宙人みたいなものだ。卒業証書を受け取ると、すぐに荷づくりにとりかかり、ベッドの周りにちらかった原稿を整理し始めた。自分が暮らす街に自殺未遂で有名なスターがいて、僕を待っているなど知るよしもなかった。情熱にかられて書きなぐった原稿も、今となっては一文の価値もない。トイレに持っていって焼き、まだ使えそうな資料や原稿をトランクにつめた。一枚一枚整理し、一字一句に至るまで丁寧にチェックし、整理しながら列車の切符のことを気にしていた。切符のことを気にすると、尿意をもよおし、何度もトイレに通うはめになる。あるときはドアをしめ、あるときは開けっ放しでやった。口を開けたトランクは、残すことにした原稿であっという間にいっぱいになり、服を入れるスペースも占領されてしまった。
 トランクの前に立ってしばらく考え込み、やっぱり原稿よりも服のほうが大事だと思い直し、僕はしゃがみ込んで――というのも、トランクが床に広げてあったので、しゃがむしかなかったのだが、僕はしゃがみ込んで原稿整理をやり直した。トランクに入れた原稿をさらに整理して、必要なさそうなものを取り出し、服をつめ込む場所を確保した。
 この作業にまた二日かかってしまった。人に頼んでおいた寝台切符はとれなかった。僕はトランクの鍵を閉め、寮のドアを閉め、ズボンのチャックを上げると、バスに乗って駅へ向かった。切符の窓口には長い列ができていた。そこには知り合いの顔も見える。学校の友達だ。割り込みたかったが、できなかった。誰かが悪党にするようにして僕のえり首をつかんで言った。切符を買うなら並べよ。僕は最後尾に並ぶしかなかった。一時間あまり並んでやっと窓口にたどりついた。天馬市行きの寝台は、たった今売り切れました。あと一分早かったら買えたんですけどね。と、切符売り。彼女の言葉に僕の思考は切断され、窓口で固まってしまった。普通席にしますか? と、何度も聞かれ、首を横にふった。じゃあ、次の人にゆずってください。と言われ、僕は窓口を離れたが、なぜ一分遅れをとってしまったのか、どうしても納得がいかなかった。たったの一分だ。クシャミをしたときか、それとも顔を洗っているときか知らないが、それで一分を無駄にしたのだ。
 切符売り場の長い長い列をぬけて外に出た。と、ひとりのおばさんが、ピタッと張りついてきた。天馬市行きの寝台切符はいりませんか。えっ? このおばさん、寝台切符をもっているの! 僕は高額でそれを買うと、バスに乗って学校へ戻り、食堂でうどんを一杯食べ、うつわを洗い、オールナイトでつまらない映画を見て、寮の鍵を返し、トランクをさげて校門を出て、車で駅に向かい、入場する列に並び、切符を切ってもらい、それを列車の入り口で寝台番号と交換し、トランクを棚にあげ、そうして寝台にばったりと倒れこんだ。目が覚めると、天馬市だった。トランクをさげ、寝台番号を切符に戻し、列車を降り、咳を三つし、右足の筋がちょっぴりちがったまま、左手がちょっぴりしびれたまま、駅を出てタクシーに乗り、窓を開けて吹き込む風に寝ぼけた頭をさらし、そうして家についた。
 僕は仕事探しのせいでずっと落ち込んでいた。コネもなかったし、地元の報道関連会社を全部まわったところで、雇ってくれる所はひとつもなかった。これについては、ここでくわしく報告しておく。この市には三十七の報道関連会社がある。僕は二十社の人事部長、十三社の事務局長、四社の人間を訪ねた。うち男性は三十名、女性は七名。喫煙者十五名、方言を話すのは六名。彼らのうち二十名がこう言った。とりあえず資料を提出してください。こちらで検討し、ご連絡します。そうそう、電話番号を書いていってください。四名がこう言った。もう定員いっぱいでね。決してあなたを採りたくないんじゃなくて、空きがないんです。十二名がこう言った。女性だったら良かったんだけど、本当に残念です。そして一名が、――これは呂暁葛という天馬テレビ局事務局主任なのだが、僕の耳元に口を寄せて、そっとささやいた。君は真面目そうだから教えてあげよう。うちの局は人を探している。局長が、よしと言えばきまるんだ。もし本当に入社したいんなら、毎朝、局長室のドアの前に立って、局長のお出ましを待つといい。
 朝から晩まで局長室の前で待つこと二日。まさか避けられているのか、局長は姿を現さない。トイレに行っている間に、ファーストフードを食べている間に、寝に帰っている間に、行き違うのではないかと、心配で心配でしょうがない。だから毎朝、ファーストフード二食分とミネラルウォーター二本を買って、局長室の前で待つようにした。入り口の前に新聞を敷き、お腹が空いたらファーストフードを食べ、のどが渇いたらミネラルウォーターを飲み、眠くなったら新聞の上で寝る。行きかう人はみなジロリと見るだけだった。僕が狸寝入りをしていると、足を振り上げて蹴りをいれようとする人もいた。しかしそのつま先は僕の身体をよけ、空で止まる。僕が何者かもわからないうちは、彼らも蹴るわけにはいかないのだ。肩に撮影カメラをのせて局長室の前を通りかかった人を引き止めて聞いた。廖局長を見ませんでしたか。彼は首をふった。
 そこへ、ベストをはおり、録画テープを持ってやって来る人がいたので、呼び止めた。廖局長を見ませんでしたか。 彼は胡散臭そうに僕を見た。君は局長とどういうカンケイ? 親戚の者です。と答えると、親戚の君が知らないのに、私が知るわけないじゃないか。と言われた。彼が行ってしまうと、僕はまた新聞の上に腰をおろした。しばらく座っていると、数匹のハエがブーンと飛行機のような音を残して頭上を飛んでいった。突然、目の前で美しいパンプスが止まった。視線をぐーっと上にあげると、そこにあったのは、見覚えのあるきれいな女性の顔。長い歳月苦労を共にしてくれたこの懐かしい声。あなたは天馬テレビ局の有名アナウンサー、劉立葦さん。彼女はうなずいた。僕は聞いた。廖局長を見ませんでしたか。すると彼女は言った。呂暁葛主任は、あなたに何も言わなかった? 僕は答えた。いえ、何も。彼女は言った。行って彼に聞くといいわ。
 僕はこれ以上呂主任に迷惑をかけたくなかった。秘密というものは、一回限りである。彼は僕に一つ漏らしてくれたわけで、さらに二つめを聞きに行くわけにはいかないのだ。僕は局長室の前に立ったままファーストフードを食べ、ミネラルウォーターを飲み終えた。すると足が勝手に動き出し、事務室にいる呂主任の目の前までまっすぐ進み、そして止まった。僕は呂主任に向かって言った。またご迷惑をかけるつもりはなかったのですが、足が言うことを聞かずに、勝手に来てしまいました。すると呂主任が言った。君は誰だっけ? 僕は答えた。仕事を探しに来て、主任に局長室の前で局長を待つように言われた者です。すると、待ったのか? と呂主任。五日間待ちましたが、現れませんでした。呂主任はおでこをパチンとたたいた。あっ、忘れてた。局長はアメリカに出張中で、たぶん帰りは二日後だ。

 
  ▼徳久圭訳

 二日後、廖局長に会うためもう一度天馬テレビ局に行った。すると二人の守衛がパッと腕を広げ、行く手を遮った。僕は言った。僕は廖局長の親戚の者だ。遊びに来いとも言われている。大事な要件を彼に伝えなくちゃならない。困ったことになっても、君たちでは責任を負いきれないぞ。守衛は何も言わず、腕も下ろさない。僕はあり金をぜんぶかき集め、小銭までそっくり彼らのポケットにねじ込んだ。守衛は言う。あなたを入れたくないわけじゃない、廖局長が入れさせないのだ。僕は聞いた。廖局長は戻ったのか。守衛がうなずく。僕は突然怒りが込み上げてきた。なにが局長様だ、ふざけるな。人を五日も待たせておいて、会おうともしない。僕はテレビ局の建物に向かって怒りをぶつけた。テレビカメラを担いだ若い男が三人、僕の怒鳴り声を聞いてビルから飛び出してきた。彼らは三方から僕を撮り始めた。それで僕も勢いづいた。局長はごろつきだ、チンピラだ、官僚だ、腐敗分子だ、極悪非道だ、無分別の大馬鹿野郎だ。偉そうに局でそっくりかえっているが、家に帰ればタダの人、自腹は切らない、女房はほったらかし、つけ届けは取り放題、忙しい忙しいと言いながら女の子といちゃいちゃする時間はあるくせに。
 実のところ、僕は局長のことなど全く知らなかった。ただ知っている限りの憎まれ口を総動員してうっぷんをはらしただけだ。はじめのうちは誰かが止めてくれると思っていたが、守衛もカメラマンも僕の吐き出す言葉に全く動じなかった。まるでそれが聞くに堪えないほどひどいということも知らないようだ。こうなったらやつらをひるませるまでは死んでもやめないぞ。そして僕の口から出る言葉はますますエスカレートし、罵詈雑言の急行列車みたいになり、どうにも止まらなくなった。けれど彼らは僕のすごい言葉にぜんぜん動かされず、冷ややかにカメラのレンズを僕に向けている。「ごろつき、チンピラ、小役人、腐敗分子、極悪非道、無分別、大馬鹿野郎」は全く効き目がない。僕は口角泡を飛ばし、口はカラカラ、頭クラクラ。最後に言った。お前らよく聞け、僕は英語をしゃべっているわけじゃないんだぞ。彼らは指を立てて言った。オーケイ。
 天馬テレビ局の玄関をあとにすると、職探しにも嫌気がさしてしまった。ところが一週間後、呂暁葛主任から電話があった。テレビ局の前で撮影された僕の映像を見て局長がほめちぎっている。君は貫禄があるし、情熱的だし、風貌もなかなかのものだ。ぜひうちで働いてほしいそうだ。僕は言った。呂主任、冗談はやめてください。主任は言った。冗談のわからん人間でね。
 こうして僕は天馬テレビ局に入社した。出勤初日、視聴者ホットラインに電話が入った。東方路の東方ショッピングセンターで、女の子がクレーンのてっぺんによじ登り自殺しようとしている。取材できないかというのだ。僕はそれを取材部の主任に伝え、主任はそれを局長に伝えた。局長は僕に取材させることを決定した。僕はテレビカメラも扱えないんですよと言ったが、局長はカメラのスイッチを指差してこう言った。これはフルオートだ、スイッチを入れさえすれば、あとは勝手に撮影してくれる。
 テレビカメラを受け取り、車を一台回してもらうと、あくびを二回した。それから両足を軽くほぐし、カメラを担いで、鼻歌で流行歌を歌いながら、東方ショッピングセンターに直行した。

 
機械が僕に  

 テレビ局に戻り、たった今撮影したアーチンの跳び降り未遂ビデオを再生してみた。すると、映像があるのに音声のない部分がたくさんある。僕はあの混乱した現場をひとつひとつ思い出してみた。アーチンの声はまだ耳に残っている。その息づかいさえ、つい今しがたのことのように新鮮だ。僕は彼女を訪ね、追加取材することにした。
 次の日の午後、僕はアーチンの居場所を探し当てた。彼女は追っかけたちと頭をつきあわせ、テーブルに広げたこの町の地図を見ながら、次の自殺場所を探しているところだった。僕はテレビカメラを構え、彼女にマイクを向けていろいろ質問した。どうして自殺するのかについても聞いた。彼女は、昨日の昼にクレーンの突端でしゃべったことを繰り返した。愛がないから死ぬ。地球が汚れてしまって、汚職が多すぎるから死ぬ。闇取引が野放しで、学校に行けない子供がいて、乱開発が進んでいるから。母親に叱られたから、青い空や白い雲が見えないから、東南アジアの金融危機、クリントンの不倫スキャンダル、兄が自分を無視するから。彼女は現実に起きている悪い話をたくさん挙げて自殺の理由にした。話しながら興奮してくると、下品な罵声を吐き、人体の局部に攻撃を加えはじめた。彼女のものいいは、僕が局長を罵った時と同じくらい乱暴で下品だった。それで、彼女との距離が一挙に縮まる思いがした。
 アーチンを取材し終えてテレビ局に戻った。うまく番組に仕上げることができるに違いない。ビデオに手を入れるため編集室に行った。手を入れる前にひととおりラッシュを見て、僕は背筋が寒くなった。またアーチンの声がほとんど録れていないのだ。録れているのはほんのわずかな部分だけだ。彼女がなぜ自殺するのかを語るくだりは、全く入っていない。昨日の昼に撮ったシーンまで巻き戻してみる。太った男が上を仰ぎ、クレーンに向かって身ぶり手ぶりをし、口をパクパクさせているが、やはり声がない。たしかこの男はアーチンの兄で、この時はあばずれだとか、面汚しだとか怒鳴り散らしていた。パンティも穿かねえで、お袋の顔に泥を塗りやがって、わが家は物笑いの種だ。彼がそう言っていたのをはっきりと覚えている。でもビデオには全く入っていない。僕は繰り返しビデオを再生した。そして十一回目、あることに気がついた。
 僕はスタジオに入った。誰もいない。カメラを自分に向け、スイッチを入れた。それからカメラに向かって話した。誇り高い、偉大な、才能ある、おしゃれな、美しい、正確な、十点追加、光栄な、大らかな。今度はこう言う。ごろつき、チンピラ、ファックしてやる、腐れやろう、くそったれ、助平。これでわかった。このオートテレビカメラがどういうしろものなのか。美しい言葉は録音されるが、汚い言葉はひとりでに録音システムが閉じるようになっているのだ。それで、僕がテレビ局に採用された本当の理由もわかった。あの時、三台のテレビカメラが回っていたが、局長を罵った言葉はすべて録音されなかったのだ。局長は僕に罵られたことは、全然知らなかったのである。


【著者紹介】
東西 Tongxiトンシー
本名田代琳(Tian Dailinティエン・ダイリン)
1966年3月広西チワン族自治区に生まれる。1985年河池師範専門学校の中文部卒業後、教師、報道、秘書、新聞編集、記者などの仕事に従事。現在、中国作家協会会員、広西日報の文芸部編集。中編小説『没有言語的生活』(言葉のない生活)で魯迅文学賞を受賞。1996年、『小説選刊』賞を受賞。主な作品に、長編小説『耳光響亮』(びんた)、中編小説『没有言語的生活』、『痛苦比賽』(苦しみごっこ)、中編・短編小説『抒情時代』、『目光愈拉愈長』(視線は遠くへ)、『不要問我』(おれに聞くな)、『我為什麼没有小蜜』(シャオミーはなぜない)などがあり、20回連続テレビドラマの脚本『永遠有多遠』(永遠はどこまで遠い)がある。
【著者へのインタビュー】
Q:東西というペンネームにはどういう意味があるのですか。
A:東西の西は重読します。このペンネームにはさまざまな意味があります。中国語の「東西」はすべてを表すことができます。たとえば「東西文化の交流」などとも言いますし、「あいつはろくでもないやつだ」という時も使います。「那個人不是東西,自己才是東西」(あいつはろくでもないやつだ。自分こそ立派なのだ)と言ったり、「東張西望」「東成西就」「東奔西?」……。


本HPにおける原文掲載および訳文掲載についてはすでに著者および訳者の許諾を受けています。原文・訳文の無断転載はご遠慮ください。ご必要なことがありましたら、日中学院メールアドレスからお尋ねくださいませ。また原文・訳文に関するご感想・ご質問がありましたら、ぜひメールを送ってくださいませ。
(別科翻訳班講師:納村公子) 日中学院ホームにもどる

 
ページトップへ
このサイトで使用しているイラストの無断使用を禁じます。 copyright2004.NITTYUU GAKUIN All rights reserved.